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ミャンマーでの取り組み
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ミャンマーの現状|活動概要|サイクロン被災地での活動

活動概要

[ハンセン病集団住宅補修工事事業]

 「森の中にハンセン病の人々が閉じ込められている」との情報を聞いて、この村を訪ねました。

軍事政権下の国では、このような地域に外国人が 立ち入ることは、かなり難しい。赤土の道が延々と続くマヤンチャウンの森の中にハンセン病患者集団住宅がありました。中に入ると手足を切断された人々や、目の見えない人が、悲惨な 状況で暮らしていました。米を買うお金さえも持たない人々は、餓死寸前だったのです。

施設は屋根が抜け落ち 壁は倒壊しています。中に入ると、気温は35度以上の蒸し風呂状態でした。病で苦しみ、虐待を受けた人々が、地獄の惨状で生きていました。

アジアチャイルドサポートは、2003年9月から集団住宅の補修工事に入りました。屋根を直し、天井を入れ、壁を立て替え、車椅子で移動可能な バリアフリーの工事を行いました。

[ハンセン病集団住宅水道工事事業]

ハンセン病患者の皆さんの飲料水を見て驚きました。赤茶けた泥水を飲んでいました。「こんな水を飲んでいるのか」と絶句する思いでした。 ハンセン病の後遺症のために、体中がボロボロになった人々は、病気に対する抵抗力も無いのです。水を媒介とする感染症、陽チフスや赤痢などで命を失う方が後を絶ちません。

(写真)水道施設の写真、キレイな水を飲んで喜んでいる患者の皆さんの写真を添付

この地域の人々は、ハンセン病患者の家族が多く、病気に対する知識も持っています。ハンセン病が伝染しにくく、現在ではスグ治る病気であることも理解しているので、ハンセン病に対しての恐怖や誤解も少ないのです。

水道工事は思わぬ効果が出ました。「こんなキレイな水が飲めるところは、ここしかない」と村々の子供達が、水を貰いに くるようになったのです。毎日子供達がやって来て、水筒に水を入れにやってきます。施設に、元気な声や笑い声が響き、非常に明るくなったのです。

[ハンセン病重症患者用住宅建築事業]

集団住宅から離れた家畜小屋のような場所に、ハンセン病重症患者の皆さんが閉じ込められていました。

両手の指の全てが欠落し、両足を切断された女性が丸太のように置かれていました。目は飛び出し、髪は振り乱れ、汚物にまみれて「殺してくれ」と叫んでいたのです。

2004年2月10日ミャンマーのハンセン病の村マヤンニャウンに出来たユイマールハウス(重症患者用の住居)集団宿舎の看板ユイマールハウス(重症患者用の住居)集団宿舎の改修工事、小学校の全面補修工事の完成式典が行われました。

ミャンマー日本大使館、ミャンマー福祉保健事務局長、チサン氏(ミャンマーで有名な作家でハンセン病の差別に対しての運動を行っている)住民の皆さん、患者の皆さんなど多くの方々が参加しました。

ミャンマーのハンセン病の皆さんに対する支援は現地の皆さんの協力のもと大成功でした。

今回の事業では病気に対する差別でいかに多くの人々が苦しみ、涙を流しているかを実感しました。ライ病に冒されただけで何故、これほどの苦しみを与えるのか怒りを感じました。人間の醜さ、弱さなど原点を見たような気がいたします。

(ハンセン病棟ユイマールハウス)

ハンセン病棟ユイマールハウス

[ハンセン病患者に対する食料援助事業]

2003年5月18日にミャンマーのハンセン病患者の皆さんが暮すマヤンチャウン村を訪ねました。今回の目的は「ユイマールハウス」「水浄化装置」などアジアチャイルドサポートが建設した設備の状況調査と食料の支援準備でした。

現地に到着して「ゾッ」としました。6月にハンセン病患者の皆さん(食料配布人数約90名)に対する米、半年分を運ぶ予定でしたが、今年は雨季に入るのが早く(通常は6月中旬から雨季に入る)、すでに雨が降り続き、道路は泥の河となり乗用車は入れなませんでした。

マヤンチャウン村に着いて調査してみると米は底をつき、わずかばかり残っていた米は腐り悪臭を放っていました。凄まじい匂いがする米を無理やり口に押し込み餓えをしのいでいたのです。米を買うお金も無く、これからどうすれば良いのかと途方にくれていました。

物資

緊急にヤンゴンから米を運びました。沖縄からの善意の米は無事に届きました。間に合ったのです。後、一週間遅れると道路の状況からして届けることは出来なかったかもしれません。90名の人々が餓死に追いつめられる可能性は大きかったのです。

[ハンセン病患者に対する自立支援事業]

ハンセン病患者の皆さんに対して、自立支援事業として、ミシンを導入し、洋裁工場を設置いたしました

ありがとう

患者の中に、ハンセン病が発症するまで、ヤンゴンの町で洋裁店を開業していた60代の女性が先生となって、指や足が残っている方々に洋裁の指導を行っています。商品として売り出すにはまだまだ雑ではありますが、何とかスカートやシャツ、ズボンを制作できるようになりました。

皆さんの顔が明るくなりました。人間は働く喜びが、最上のものであることを教えられた思いです。何もすることも無く、ただ施設の中でうずくまる様に暮らしていた生活は地獄です。仕事が出来る喜びが満ち溢れています。笑顔でミシンを踏みながら、楽しそうに仕事をしています。

[マヤンチャウン小学校補修工事事業]

マヤンチャウンの森の中には、ハンセン病以外の人々や、ハンセン病患者の家族の方々も暮らしています。マヤンチャウン小学校には、1000名を超える子供達が学んでいます。学校に初めて足を運んだ時に見たものは、崩れかけ廃墟のような校舎でした。木造校舎は、シロアリに食い荒らされ、基礎の土台から朽ちていました。

この学校の全面補修工事を行いました。かなり大きな建物で、費用は予想を遥かに上回りました。2004年の2月に完成し、現在では多くの子供達が安心して、勉強が出来るようになりました。

小学校の子供たち
ありがとう

[パヤイ小学校建設事業]

ミャンマーのヤンゴン市街地から車で6時間近く走り、さらに舟に乗り換えて2時間余り河を登ると、やっとパヤイ村に着きました。 人口1000名近くの村で、電気も水道もありません。竹で骨組みを作りニッパ椰子の葉で囲われた住居が広場を囲んで建てられていました。

「ここが学校です」と見せられた建物はボロボロの状*態で、壁や天井は穴だらけ。机も腰掛けも黒板さえもなく、雨が降ると勉強は出来ません。
学校と言うには余りにもお粗末でありました。「子ども達に教育を受けさせることは、とっても大切なことです」「でも、私たちは貧しく学校を作る お金も無い。お願いです。子ども達が勉強できる学校を作ってください。」と村人達が真剣に訴えてきました。

彼等の真剣な思いは本物でした。子ども達に教育をと言う願いは強い。教師は村人達が全員でお金を出し合い給料を払うそうです。 しかし、学校建設費を捻出するのは極貧の村人達には出来ません。

この村に学校を建てることは非常に重要であり、会員の皆さんの浄財が最も役立つと判断しパヤイ村に学校を建設することを決定いたしました。

2005年の5月にパヤイ小学校は完成しました。パヤイの子供達は学ぶことに真剣です。「雨が降っても勉強できるようになりました。日本の皆さんありがとう。私達は一生懸命に勉強します」とお礼の言葉を言っていました。

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[タンビュス小学校建設事業]

タンビュスの村は、車が走る道路から道が無いため、数キロ徒歩で歩く以外に手段はありません。 ぬかるんだ粘土質のあぜ道を、足を取られながらやっと到着しました。学校はボロボロで、床さえも無いために、泥が入り込み、ドロドロの土にまみれて子供達が勉強していました。

大人達の教育に対する思いも熱い。村長さんが「日本の皆さんに恥を忍んでお願いします。どうか、学校を建てて下さい。 私達は貧しく、校舎を建てる資金はありません。情けない大人たちです。どうかお願いします」と涙を流して訴えていました。

子供達と祝いの模様も添付 大人も子供も、小学校歓声式典のために、私達の到着を待っていました。ドラが鳴り響き、民族舞踊を踊りまくる。 2000名近くの村人たちと一緒になって完成を祝いました。子供達も目を輝かし、勉強していました。 新しい校舎で新品の机に向かい、懸命に学んでいました。

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[マウビン小学校建設事業]

子供達が一生懸命に勉強するから、みんな目が悪くなった村があると聞いて、この村を訪ねました。 2000名規模の村で、児童数は200名を超えるぐらいでしょう。村に到着し、調査をしてみると、この村には学校はありませんでした。校舎を建てる資金が無いために、村で一番大きな建物である、 お寺で勉強していました。

中に入って見て「目が悪くなった」理由が理解できました。寺の中は窓一つ無く、電気も無いです。 真っ黒なローソクの、ほの暗い明かりの中で学んでいました。

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マウビン小学校は2005年の12月に完成いたしました。この村の子供達が目を悪くすること無く、学ぶことが出来るようになりました。

[エヤワディー管区教育支援事業 机・椅子支援]
[希望の灯(発電機設置)事業]

各村々の学校に、発電機設置を設置し、灯を灯す事業を行っています。

村の子供達は、学校が終わると、すぐに畑に行って農作業などの親の手伝いをしないといけません。夕方になると 真っ暗になり、勉強する事ができません。ローソク代さえも村人にとっては大変なお金です。

学校に発電機を設置すると、灯りの下で勉強が出来るようになります。

エヤワディー管区教育支援事業 机・椅子支援

[命の泉(井戸建設事業)]

アジアチャイルドサポートが井戸を建設しているエヤワディー管区は無数の川が走る地域です。水が大量にあるのに、飲料水に適した水を手に入れるのが難しい。日本のように清流が流れる川ではありません。赤茶けた泥水が流れる川です。

300名規模の児童が通う学校の飲み水を見て絶句しました。水がめに雨水を溜めて飲んでいるのですがどの水も真っ黒に汚れ、ボウフラが浮き沈みしていました。この辺りでは、子供達が水を媒介とする細菌などで侵された病気で死んでいく子が多い。

牛と小船

命の泉 大型ポンプ96基(1基約2千名の命を支えます) 小型ポンプ472基(1基約200名の命を支えます)が、2014年3月までに完成しました

「井戸が出来たと」と村人達は大喜び!

井戸が出きた
井戸ができた

私達日本人は、水道の蛇口をひねると、スグに飲み水が手に入ります。余りにも簡単に手にすることが出来るために、いつの間にか水のありがたさを忘れてしまったのではないでしょうか。

各村々で井戸が完成すると、村人の喜びは想像を絶するほどです。「これでちゃんとした水が飲める。子供達が腹を下さなくなる。ちゃんとした料理が出来る」と大人も子供も大喜びです。

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ようみそミャンマーへ
大歓迎!!

井戸の完成式典は、どこの村でも盛大に行われました。村人達が井戸の完成に心から喜んでいる事が伝わってきます。

この「命の泉」事業は継続していきます。