児童労働とは・・・概ね15才未満の子どもたちが、十分な教育や成長の機会を与えられずに働くことをいいます。また、18才未満の子どもが心身の健康、安全、道徳を害するおそれのある労働に従事している場合は「最悪の形態の児童労働」といいます。
カンボジアやミャンマーなどの途上国を訪れている時に、よく目に入るのは子どもたちが道路工事や建築現場で働いている姿です。10歳にも満たないような子どもたちが気温40度を越える猛暑の中で汗まみれになって働いている。
写真の少年は11歳。日本で言えば小学校5年生ぐらいです。全身、真っ黒になってカンボジアの首都、プノンペンから車で東へ4時間ほど行った地域にある学校の校舎増設工事現場(アジアチャイルドサポートが建設している学校ではありません)で仕事をしていた。大人でも持ち上げるのに苦労するセメントが入った重いバケツを両手に持ち、一歩一歩、地面を踏みしめるように運んでいた。カンボジアは亜熱帯地域の国です。真昼の太陽は容赦なくギラギラと照りつけ、気温は軽く40度を越える。恐ろしい厚さの中で一日働いて、彼がもらえるお金は、たったの1ドル(日本円で百十五円前後)。大人を使うよりも子どもの方が賃金が安いため、逆に重宝されているという悲しい現状もある。
このような子どもたちが学校に通っている例は少ない。貧しい家庭の子どもたちが多く、家族のため、親のために働いている。少年が汗だらけになって働いている向こうには同じ年頃の子どもたちが教室で勉強していた。少年は時折うらやましそうに眺めていた。
「写真を撮らせてくれてありがとう」と握手を求めるとニコッと微笑んでてを差し出してきた。子どもの手とは思えないほど荒れている。ギュッと握る力は大人の私よりも強く逞しかった。
昨年の2月のことです。ミャンマー国エーヤワディー管区の村々を訪ね、学校建設現場の調査中に「河のほとりで、3日間も日本人を待っている親子が居る」との情報が耳に入ってきた。何のために待っているのかと不安を抱えながら会ってみることにした。
小さな港に着くと30代後半と思われる夫婦が待っていた。母親は3歳前後の息子を抱いている。私の顔を見るなり「この子を助けてください」と母親は泣き出した。事情を聞いてみると息子は生まれつき肛門が無いため排便が出来ないとのこと。親戚や友人からお金を借り集め何とか、お腹に穴を開ける手術を受け、当分は排泄することが出来るようになったのだが、再度、手術をしないと息子は生きて行くことが出はないという。
貧しい農民の父親の稼ぎは一日で50円程度。一ヶ月働いても1500円ぐらいです。手術代は20万円前後かかる。絶望的な金額です。この家族は子どもが5人います。高校に通っていた長男は優秀な成績でありながらも学校をやめ道路工事現場で働き始めた。13歳の長女も9歳の次男も6歳の三男も学校をやめ農夫として働いた。家族全員で幼い弟の命を救おうと必死になっていた。それでも一ヶ月の稼ぎは6000円にも満たない。
家族の家を訪ねてみた。竹と椰子の葉で囲われた広さ8畳ほどの高床式の小さな小屋だ。家具らしいものは殆んど見当たらない。食事を作るための鍋と釜だけが置いてあった。彼らが手術代を捻出することは不可能に近い。
長男、次男、長女が叫びとも思える声で「どうか弟を助けてください」と訴えてきた。6歳の三男の言葉に思わず涙がこぼれてきた。「初めて会った日本人のオジサンに、お願いがあります。弟の手術代を僕に貸してください。一生かけてでも僕が払います。どうか僕にお金を貸してください」と言いながら私の手を握って泣きじゃくった。
生まれつき肛門が無い弟の名前はアウン君。彼に対する医療支援を決定し、緊急にヤンゴンの病院で手術を行いました。手術は成功し、経過も良好との報告が事務局に届いた。
今年の2月にミャンマーの首都ヤンゴンで打ち合わせをしていると「アウン君と両親が池間さんと会うためにヤンゴンに来ている」と連絡が入った。遠い村から船を乗り継ぎ2日も歩き続け、やっと、この町に着いたとのこと。親子が宿泊している寺に入るとアウン君が走り回っていた。その後ろに満面の笑みを浮かべた両親が待っていた。お母さんがアウン君を抱いて「この子は日本人の皆さんのお陰で命を頂きました。私たちの家族は一生、恩を忘れません。ありがとうございました」と涙した。
お母さんに「立派な子どもたちをお持ちですね。兄弟姉妹か゜力を合わせて弟のために懸命になっていました。特に三男に『一生かけても手術代を返します。僕にお金を貸して下さい。』と言われた時は思わず泣いてしまいましたよ」と言うと「ウン、ウン」と何度もうなずいた。