児童労働とは・・・概ね15才未満の子どもたちが、十分な教育や成長の機会を与えられずに働くことをいいます。また、18才未満の子どもが心身の健康、安全、道徳を害するおそれのある労働に従事している場合は「最悪の形態の児童労働」といいます。
モンゴルのダルハン市で、わたしは一生懸命にペンキ塗りに汗を流している少女に出会った。ジーパンを逆に着けている彼女は“大切にする心”をもっていた。
4年前のことです。モンゴルのダルハン市で大型の児童保護施設建設中に工事の進行状況をチェックしに行った時に、汗を流し顔中ペンキまみれになって塗装作業をしている少女と出会った。「何歳ですか」と訪ねるとニコニコしながら「16歳です」と答えました。仕事の邪魔をすると悪いので「頑張ってくださいね」と別れようとした時、何気なく着けているジーパンに違和感を覚えた。ポケットの白い裏地と思われる部分が両方ともむき出しになっている。「面白いデザインだな」と思ったのだが、やはり、どうも変な感じ。「このジーパンはモンゴルで流行っているデザインですか」と再度、声をかけた。すると少女は大声で笑いながら「ジーパンを裏返しに着けているのですよ」と答えた。
いつも作業をする時にはジーパンを裏返しに着けるとのこと。彼女たちにとってジーパンは非常に高価なものです。もし、ペンキがついて取れなくなってしまうと大変なことになってしまう。宝物のようなジーパンがダメになってしまう。詳しく聞いてみると、このジーパンは日本円で3,000円ぐらいはするらしい。日本人にとって3,000円の金額はたいしたことは無い。しかし、彼女たちにとっては半月分の給料に相当する。だから裏返しに着けてペンキの汚れから守っているのです。
少女は、すぐに黙々とペンキを塗り始めた。裏返しに着けたジーパンは彼女の宝物。汚れることなく作業が終って欲しいと願いました。
2007年年末から2008年正月にかけての休暇を利用し、NPO法人アジアチャイルドサポートの池間代表と一緒に私の故郷スリランカに行ってきました。独立後の60周年を迎えたスリランカの真の独立はまだ遠いかもしれませんが、私が日本にいてできることならやりたいといつも考えていました。特に幼なじみの仲間を募って新しいことが実現できたらと思いました。
私はスリランカ南西部州のポルガハウェラ市のデナガムワ村出身です。首都から車で2時間半、汽車で1時間半ぐらいかかります。ポルガハウェラは汽車の合流点として名前が知られているぐらいで他はなにもないところです。デナガムワ村は名前の由来の伝説もあり、伝統と歴史のある村として有名です。この村の隣の集落は、恥ずかしいことに、極度の貧困から抜け出せない、さらに犯罪の温床地として不名誉な村と呼ばれています(以後P村と呼ぶことにします)。なぜ、伝統と歴史のある村の隣に不名誉な集落が存在しているのか、説明したいと思います。
スリランカ政府は1972年(私が大学入学の年でしたのでよく覚えています)に大幅な土地改革政策を導入し、一人が持てる土地の面積を制限し、貧しい人でも住居を持てるような制度を施行しました。皮肉なことに、貧困をなくすために導入したこの制度の落とし穴として、P村が誕生したのであります。一人の地主さんから譲渡された土地を貧しい人々に配分しようと募集をしたところ、周辺の村からも遠いところの村からも多くの希望者が現れたようで、選定された人々が土地をもらいうけることになりました。家を建てるぐらいの土地は与えられましたが、彼らの生活基盤を保障することを誰も考えませんでした。
隣の村に畑を耕す人がいるが、P村の人は耕す畑をもたないまま、次の世代まで農業経験や職業訓練がなにもなく育ってきました。この集落の入り口に昔から焼き物製造の家族が住んでいましたが、焼き物製造は伝統的に低いカーストとされていて、それを職業として発展させ、受け継ぐことなんかだれも考えません。食べていくため、隣の畑に入って、野菜、果物や椰子を盗る人が現れ、それに慣れて、それを職業としている人も何人かがいるぐらいです。
希望を失った男たちが密造酒に中毒になり、犯罪を起こすことにもつながっています。村が差別を受けるばかりで、彼らとの付き合いは誰も薦めません。私がP村にいくことは周りの人から見て決して望ましいことではなく、そこに日本人を連れていくことは想像できない出来事であったに違いありません。私が池間代表をその村に案内すると聞いて、友人や親戚は反対したり、怒ったりもしていました。村に行って村人と話をした中で、飲み水がない家が多く、資金不足で水の整備ができていないことがわかりました。それぐらいの協力なら決して難しいことではない、という池間代表の返事を聞いて話が決まりました。
P村から井戸と水道整備の予算案が送られてきて、支援を振り込む頃には夏になっていました。夏休みは沖縄大学の学生を連れてスリランカに海外研修に出かける予定でしたので、学生と一緒にP村で村人の生活実態調査を行うことになりました。村人が井戸掘りやパイプラインを埋めるための溝を掘る作業を始めたと同時に、私たちは家から家へ回り、聞き取り調査を始めました。54世帯のうち、ほんのわずかな家庭しか訪問できませんでしたが村の生活状況がよくわかりました。最初からよそ者扱いされてきた村人が「村八分」になってしまった経緯や、犯罪行為に絡んでるのは村人の中で三、四人しかいないということも聞きました。聞き取り調査に参加した学生に村のお寺の住職さんから感謝状が贈られました。
「怠け者」、「まともに働かない」と言われていた村人が朝早い時間から一生懸命働く姿に私は感銘を受けました。男女区別なくみんな汗を流し、また女性がお茶やお茶菓子の用意までしていました。
最初の会議のときかにかわした約束、「資金面での協力はしますが、皆さんが労働力を提供しないとこの作業が進まないという約束」はしっかり守っていたようでした。何よりも、生活に欠かせない水という自然資源が自分の手によって湧きだしてくる喜びで村人の顔が輝いていました。周辺の人も協力してくれるという実感が湧いてきたのではないでしょうか。
不思議なことに、P村に対する周りの村の人々の態度も変わってきたような感じがしました。「水は宝物ですね」「やはり水は生命の起源だけではなく、豊かさの起源にもなるのではないか」「水のおかげで村も変わるんですね」「私たちも協力して、もっと早めにやるべきことではなかったでしょうか」などの声があがってきました。最後に、協力者の皆さんをお招きして、面倒を見てくれた神様への感謝も兼ねて落成式をあげることになりました。この井戸掘りプロジェクトの成功をきっかけにして、地域の連帯感を強め、地域社会に貢献できる小さな組織ができれば一番いいということで、リーダーたちの話がさらに盛り上がりました。