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伝伝虫通信バックナンバー 通巻31号 ①
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世界中で児童労働に従事している子どもたちは、約2億1,800万人

児童労働とは・・・概ね15才未満の子どもたちが、十分な教育や成長の機会を与えられずに働くことをいいます。また、18才未満の子どもが心身の健康、安全、道徳を害するおそれのある労働に従事している場合は「最悪の形態の児童労働」といいます。

働く子どもたち エピソード14

ラオス人民民主共和国
面積:236,800k㎡
人口:約6,320,000人(2008年) 首都:ヴィエンチャン

水汲みは子どもの仕事

水汲みの少女

今年の6月に支援事業調査の状況を確認する為にラオスに飛びました。順調に工事が進んでいることを確認し、それから、ラオス第二の都市パークセーへと向かう。首都のヴィエンチャンから車で12時間ほど南へ下り、やっとラオスで2番目に大きな町へ到着。第二の都市と言っても人口は10万人足らずの田舎町。フランス植民地時代の名残が残る美しい街です。道路は整備されゴミ一つ落ちていない。

幹線道路から外れ山の方へ入ると状況は一変しました。4輪駆動の車じゃないと走ることは出来ない程のデコボコ道。ホコリが舞い上がり前が見えない。赤土の道路は雨季になると車は通れなくなると言う。

ホコリだらけの村を調査していると真っ赤な泥水が溜まる大きな池が目に飛び込んで来ました。農業用水の為のため池だと思っていたのだが、そうではありませんでした。この水を濾過して生活用水としているとのこと。飲み水はどうしているのかと気になりました。

天秤棒の両方に水がいっぱい入ったバケツを下げてフラフラと歩く少女に出会った。天秤棒は肩に食い込んでいる。バケツの重さは10キロぐらいはあると思われる。顔はニコニコしているが足元はフラフラ。村の中心地に有る井戸から飲み水を汲み数百メートル離れた自宅へ戻る途中の7歳ぐらいと思われる女の子でした。自分の体重の半分近くも入ってる水を担いで一歩一歩踏みしめながら歩く、その後ろ姿を見て「たくましいものだ」と感心していました。

水汲みは子どもの仕事。ラオスだけでは無い。モンゴルではマイナス30度の寒さの中で凍った川の穴を開けて水をくみ出す5歳ぐらいの少年と会った。ネパールでは水瓶を抱いて急な山路を歩く子どもたちと会った。不思議なもので、どこに行っても水汲みは子どもの仕事です。親が手伝うことはありません。子どもたちの仕事として親が子どもに役目を与える。子どもたちも自分の仕事としてしっかり責任を果たす。

日本の家庭だと水道の蛇口をひねると綺麗な水か出てくる。そして、そのまま生水を飲んでも大丈夫。その様な国は日本以外にはほとんどありません。外国で生水を飲むなんて、とんでもない事です。私たちは飲み水を簡単に手に入れる事ができる。これが当然だと思っているが、実は大変にありがたい事です。

日本の子どもたちに知って欲しい。飲み水を手に入れる為に、苦労している子どもたちがいる事を。世界では10億人以上の人々が泥水を飲んでいます。その泥水を飲む為に15秒に一人の子どもが死んで行く事を。

東日本大震災 「いい人はみんな死んでしまった」

東日本大震災痕

アジアチャイルドサポートは震災後すぐに東日本大震災支援センターを開所し物資の配送などの支援を継続しているのだが、現地で連携をとっているメンバーから悲しい話を聞きました。「いい人はみんな死んでしまったよ。根性の悪い人間が生き残ったのだ」と拳を震わせボロボロに涙を流しながら語った中年男性の体験談でした。

仙台市の海岸沿いの工場に勤める男性は大津波が押し寄せてくるとの情報が入り「このままでは危ない」と感じ、すぐに自家用車に乗り込み山手ま方へと向かう道路に出た。しかし、どこもかしこも渋滞で車が前に進まない。何とか逃げ出さねばと車をバックと前進を繰り返し相手の車にぶつけて強引に進めた。アクセル全開でで踏み込み渋滞から抜け出す。

周りを見ると自分だけではなかった。生きるか死ぬかのパニック状態。多くの人々が強引に車を走らせていた。車を乗り捨てる者も多かった。道端に車を寄せて止める余裕など無く、そのまま運転席から降り、車を捨てて逃げる人も大勢いました。人様に迷惑をかけぬようにと迫り来る大津波の恐怖に耐えながらジッと渋滞の中で待ち続けた人々。路上に車を放置しては他の車に迷惑をかけると運転席でハンドルを握っていた人々は波に巻き込まれてしまった。

助かった中年男性は「俺はワガママで悪い人間だから生き残ったのだ。人様に迷惑をかけない優しい人達はみんな死んでしまった。」と肩を震わせた。助かった自分を責める男性の姿は痛々しくてたまらなかったとのことでした。

病身の母親を連れ出すことが出来なかった。子どもの手をしっかりと握っていなかった。波にのまれた車から妻を引き出すことが出来なかった。愛する家族の命を目の前で奪われた人々の殆んどが「あの時、ああすれば良かった。こうすれば助かっていた」と自分自身を責めています。余りにも悲しく大きな苦しみです。同じ人間として被災者の皆さんに一日でも長く想いを寄せ、優しい心を少しだけ分けることが大事だと思います。被災者の皆さんに心からの哀悼の意を表します。

東日本大震災痕

『東日本大震災写真 パネル展500』~想いは行動に変わる~

東日本大震災が発生してから半年以上が過ぎ、新聞・テレビ等の報道も震災当時と比べると少なくなり、人々の関心も薄れてきた様に思われます。しかし、被災地の過酷な状況は、依然として変わらず、避難所での生活を余儀なくされている方は、未だ多く残されています。被害に遭われた方々の悲しみを一日でも長く、多くの人々の心に刻んで頂き、一刻も早く復興に繋がることを願い、500か所でのパネル展を企画しました。パネル展500に賛同した皆様から、多数の申し込みを頂き、全国各地で開催されています。

全国各地での展示会の様子 パネル展示・募金箱設置募集中