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伝伝虫通信バックナンバー 通巻32号 ②
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「エーユア小学校完成」ミャンマーで通算54校目

ミャンマーエーユア小学校落成式典

小学校完成

2011年11月18日エーヤワディ管区エーユア村に、小学校の新校が完成しました。落成式典には、約800名の人々が参加し、カレン族の伝統舞踊や歌が披露され、盛大な式典となりました。

エヘユア村は、ヤンゴン市街地から北西約70km車で4時間、沼地を小船で約30分移動した場所にあります。ほとんどの村人が農業従事者で平均日収は100円以下、現金収入のない農家も多く、エーヤワディ管区でも特に貧しい地域です。村人は、貧しさから抜け出すには子どもたちへの教育が必要だと分かっています。苦しい生活をしながらお金を持ち寄り、1992年に旧校舎を建設しました。

ミャンマーの農村部では、学校は行政が建てるのではなく、各村の住民がお金を出し合って建物を建て、行政が学校として認めた時に教師が派遣されます。2008年の超大型サイクロン・ナルギスの襲来(死者・行方不明者約14万人)により、校舎の屋根が飛び壁が剥がれ落ちましたが、現金収入もほとんどない村人たちは、学校の廃材を利用して修復を行いました。その後、本格的な修繕は行われず、天井や壁は穴だらけになり、雨の日には雨漏りで授業を続けることが出来なくなりました。また天井を支えている柱が腐り、いつ倒壊してもおかしくない状況に陥り、多くの保護者は、この校舎は安全ではないと判断して、子どもたちを通わせなくなりました。

今回建てられた校舎は、鉄筋レンガ造りの建物で、災害時の緊急避難所としても利用されることになりました。安心して勉強ができるので、エーユア村だけでなく周辺の村を含めた200名以上の子どもたちが通っています。

水洗トイレを設置

水洗トイレ設置

旧校舎にはトイレがなく、周辺で用を足していたので、衛生環境も改善します。水洗トイレを使ったことのない子どもたちも将来、街へ出たときに戸惑わないように教えていきます。

ドー・リインヌエ校長の挨拶

ドー・リインヌエ校長以前の校舎は雨漏りがひどく、風が強い日は倒れそうな中で勉強してきました。そのために一部の子どもたちは隣村の小学校へ1時間以上かけて通っていました。新しい学校ができたおかげで、子どもたちも楽しそうに勉強しています。

ウーミン・ママウン村長の挨拶

ウーミン・ママウン村長新しい学校建設本当にありがとうございす。トイレも設置され、衛生的にもよくなりました。日本も東日本大震災で大変な中、温かい支援をして頂き、心から感謝しています。

マー・キンティモンさん(12歳)

マー・キンティモンさん(12歳)遠く日本からの支援ありがとうございましす。日本の皆さんのおかげで私は新しい校舎で、小学校最後の生活をおくれるのがとてもうれしいです。将来は、お医者さんになるために一生懸命勉強して頑張ります。

ネパール現地報告

HIV/エイズ感染者保護施設支援

クライシスセンターの皆さん

ネパールでは、貧しさのために幼い少女が売春婦としてインドへ売られることがよくあります。少女たちの多くはHIVに感染し、ネパールに帰れても地域の偏見や差別、家族からも見放されて孤独の中で生きている方がたくさんいます。2009年の総務省・統計局のデータによると、約64,000人のHIV感染者がおり、年間の死亡数は約4,700人との報告があります。現地のNGOによると実際はその数倍はいるとの説もあります。

アジアチャイルドサポートでは2009年より、女性や子どもを守るためにHIV/エイズ感染者保護施設「クライシスセンター」の支援をしています。350名の方が元気を取り戻し退所しました。

☆支援内容☆

  1. 温かいベットを提供する
  2. 病院への搬送、検査、治療のサポート
  3. 食糧配布
  4. 差別、虐待によって傷ついた心のケア
  5. エイズの正しい知識の普及 など

夫から感染 夫も息子も亡くした ☆ビラマさん(32歳)

ビラマさん

私はビラマと申します。32歳で1人で暮らしています。16歳の時に5歳年上の彼と結婚しました。3年が過ぎたある日、夫の左手が麻痺してしまい病院へ連れて行きました。血液検査の結果、お医者さんから病名はエイズだと告げられました。お金のない私たちは治療を受けられず、その年に彼は亡くなりました。

幸いにも2人の息子はHIVに感染していませんでしたが、私は感染していました。ネパールでは、HIVに対する正しい教育が十分に行われていないので、ひどい偏見や差別があります。どんなに怖くて不安でも、この病気を他人に相談することは私には出来ません。家族に相談しても、簡単に感染すると信じているので「二度と家に入るな」と言われそうで怖いのです。

長男のシラスは15歳の中学3年生で、学校の寮に住んでいます。私と次男のスニールは一緒に住んでいました。“いました”と過去のように話すのは、スニールはもうこの世にはいないからです。彼は14歳という若さで自ら命を絶ってしまいました。原因は、私がHIVに感染していることを知ったからです。私は彼を失ったショックで、精神的に不安定になり高熱で寝込むようになりました。心配した医療関係者の紹介で、クライシスセンターのスタッフが訪ねて来て、支援施設へ案内してくれました。病院へのサポートもしてくれて、診察を受けることが出来ました。お医者さんからエイズウイルスを抑える薬であるART(抗レトロウイルス薬)を飲むようにと言われ、9日間の入院・治療を受けて、支援施設に戻りました。しかし、薬は私の体には合わなかったようで、貧血を起こし再度8日間入院することになりました。新たに性感染症にかかっていることが分かり、手術を受けましたが以前からの持病もあり、回復するまでに時間がかかってしまいました。

施設では、治療のサポートの他にエイズの正しい知識と、自立して生活していくためのカウンセリングもしてくれます。HIVに感染していると知ったとき、私の人生は一瞬にして真っ暗になり毎日地獄の日々でした。生きる気力を無くしかけていた私に、クライシスセンターは頑張る力を与えてくれました。

現在、私は自立し、友人の助けを借りて道端で小さな紅茶屋を開いています。当たり前に過ぎていく日々が大切だと知りました。息子が亡くなった悲しみは一生消えることはありませんが、これからは長男のシラスと二人で幸せになれると信じています。