児童労働とは・・・概ね15才未満の子どもたちが、十分な教育や成長の機会を与えられずに働くことをいいます。また、18才未満の子どもが心身の健康、安全、道徳を害するおそれのある労働に従事している場合は「最悪の形態の児童労働」といいます。
ミャンマーやラオス等、アジア途上国の学校を訪問すると日本では決して見る事が無い出来事に会います。その一つが学校に幼い妹や弟を連れて来て子守りをしながら勉強する姿です。
小学校4年生ぐらいの子どもたちが自分の席の隣に弟や妹を座らせて勉強する。むずがる幼子を膝の上に乗せてあやしながら学ぶ姿もよく見かける。
アジア途上国においては子守りは子どもの仕事です。小さな体で自分の半分以上も有ると思える弟や妹を背負いながら洗濯や家畜の世話をする子どもたちも居る。広場で遊んでいる子どもたちの中には必ず幼児をつれたお兄ちゃん、お姉ちゃんが居る。田舎では、ほとんどの家族が農業で生活をしている。その暮らしは決して楽ではありません。家族全員で働かないと食べて生きて行く事は難しい。お父さんお母さん子どもたちみんなで働き、一日一日を暮らす。子どもたちは学校から帰って来ても遊ぶ暇はありません。炊事洗濯、家畜の世話、畑仕事、水汲み、マキ拾い、そして、子守りと一日があっという間に過ぎるほど忙しい。
子守りの役目は非常に重要です。特に作物の刈り入れの忙しい時は、お母さんは小さい子どもの面倒を見る暇はありません。お兄ちゃんお姉ちゃんを全面的に信頼して幼い子どもたちを任せます。責任重大です。熱帯地域の真昼の暑さは大変です。気温が40度を超える事も珍しくは有ません。ちょっとした油断で脱水症状を起こし、強烈な太陽の光に照らされて日射病となる。牛や馬等の家畜に踏まれる事も川や池に落ちて溺れ死んでしまった事故も珍しくはない。子どもだから遊びに夢中になって妹や弟の事を忘れていた等は決して通用しない。ちょっとした油断が命取りになる。
お兄ちゃんやお姉ちゃんは汗だくになって面倒を見る。遊びたいのを我慢して面倒を見る。弟や妹を見る目は限りなく優しい。いつも愛情深く弟や妹に声をかける。時には「あんたダメでしょう」と大声で叱りつけている。お兄ちゃんやお姉ちゃんに対する信頼は厚い。もちろん兄弟姉妹喧嘩する時も有るが、基本的には弟や妹は心からお兄ちゃんやお姉ちゃんを尊敬している。かつての日本もそうだった。
東日本大震災が起きて1年が過ぎました。アジアチャイルドサポートは昨年、4月上旬には宮城県仙台市に大型の倉庫と宿泊センターを借り受け、すぐに支援活動を開始しました。食料や生活物資は400ヵ所以上の被災者の皆さんに届けられ、宿泊センターにはボランティア活動でやって来た延べ1300名を超える皆さんが利用するに至りました。そして、今年、3月いっぱいで倉庫や宿泊センターを管理者である会津通商様へお返ししましたが、店舗再生支援、車両支援、船舶支援、物資支援などは今年も継続していきます。
講演で全国を飛び回り多くの皆さんと話していて感じていることは、すでに日本国民の中では忘れ去られてしまっていることです。以前のような被災地に対する想いは殆んどもっていません。現地へ駆けつけるボランティアの方も、だいぶ少なくなってしまいました。残念ながら、これはある意味では当然なのかもしれません。日々の暮らしで精一杯なのが普通の人々です。遠くで起きた災害に対して長期的に想いを寄せる事は難しいものです。
大震災支援で大きな結果を出しているプログラムが有ります。それは「一日でも長く被災地を思う」と銘打った写真展支援です。
私自信が30回近く被災地に足を運び撮影して来た写真を、30点余りのパネルにし各地域で支援活動を行っている皆さんに提供致しました。教師の皆さん、地域のボランティア団体、団体、企業などに写真パネルセットをお使い頂き各地域で常に展示会を行っています。東日本大震災の悲しみ苦しみは今でも続いています。どこに募金するとか、アジアチャイルドサポートにお金を送る等とは全く関係ありません。いろいろな場所で訴えて、様々な団体や個人が被災者の皆さんに継続した応援をするのが何よりも大事です。この写真展プログラムは大きな反響を呼び、大きな結果も残しました。これからも継続です。
3月の末に岩手県や宮城県の被災者の皆さんと話しました。津波で破壊された町は、がれきが除かれただけで、それ以上は殆んど以前と変わらない。
人々の悲しみと苦しみは続いている。同じ日本人として被災者の皆さんに対して少しだけの優しい心を分ける、
一日でも長く大災害で苦しむ人々の事を心にとどめる事は大切だと思います。