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伝伝虫通信バックナンバー 通巻41号 ①
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取り残された集落

取り残された集落 バゴー地域 ダイウー・ニャンイン村

南北に細長いミャンマー連邦共和国のほぼ中央に位置するバゴー地域。

最大都市ヤンゴンと第2の都市マンダレーを結ぶ。ミャンマー初の高速道路をヤンゴンから北に約110Km進んだ道路脇、何の目印も無い林を抜けると、バゴー地域ダイウー町があります。そこには40近くの集落があり、政府軍とカレン民族同盟との内戦が続いていました。2012年にようやく停戦合意に至ったのですが、ミャンマーが民主化された現在も、ニャンイン村として正式に認可されていません。

村には約60世帯220名ほどが暮らし、バゴー山脈の自然豊かな森の中で、森林局の仕事や、象使いの仕事などを営んでいたのですが、その森を広大なプランテーションとして大企業が買占め、フェンスで分断してしまったため、森に入ることができなくなりました。村の道の一部も企業の土地となり、分断前には道としての使用しても構わないとの話だったのですが、分断後に一転、使用禁止となってしまい、現在も話し合いが続いています。

水資源の乏しい痩せた村の土地では稲作は出来ず、果物や野菜づくりを中心にギリギリの生活を送っています。学校も無く教育レベルが低いため、悪質な取引を持ちかけられることも多く、2013年には、20名の大人や子どもが、隣国タイの漁村に人身売買される被害にも遭っています。

壁や窓などを配置した校舎
壁や窓などを配置した校舎
軒の高さをしっかり上げ、怪我の心配がなくなった校舎
軒の高さをしっかり上げ、怪我の心配がなくなった校舎

支援要請を受けて

タイや中国との国境周辺で、ミャンマー人の就労者支援に取り組む現地の方から、村野の現状についての情報が入りました。ミャンマーの農村地帯では、村自身で学校を絶て、政府の就任を受けてはじめて、教師派遣などの行政上のサポートが受けられるのですが、村としての認可が得られず、日々の暮らしにも精一杯な人々の力だけでは、校舎建設など到底叶いません。その方は、2015年から個人で校舎の建設を手掛けたり、学用品寄贈、教師の給与などの教育支援を行ってきたのですが、自分自身の生活を切り詰めて捻出した資金だけでは負担が大きく、継続することが困難となり、アジアチャイルドサポートに支援を要請しました。

要請を受け、調査に入ったのは2016年6月、学校には52名の子どもたちが通っていました。屋根だけの校舎や、基礎工事だけで止まってしまった校舎。壁まで設置することは出来たものの、屋根とたんの鋭い切り口が目の高さにあり、重大な怪我をする恐れのある建物もありました。さっそく、安全上問題のある屋根の改修工事や雨が降るたびにどろどろになる床を、コンクリート床へと改修し、壁を取り付ける工事に取り掛かりました。また、子どもたちへの教育のため、ほぼボランティアとして教壇に立っている校長先生を含めた5名の教師の給与支援も行う事としました。

教壇に立っている校長先生・教師・現地スタッフ
教壇に立っている校長先生・教師・現地スタッフ

新たなスタート

建設会社と村人たちが協力し、同年11月に全ての工事が完了しました。資材の再利用を図るなど試行錯誤してくれたことで、予定していた工事だけでなく、野晒しになっていた井戸のポンプを、強い日差しや雨風による腐食から守るための小屋を建設するなど、追加の工事を手掛けることが出来ました。

ミャンマーでは、最も暑い季節の3月から5月までは夏休みです。新学期のはじまる6月には、洪水にもなるような大粒の雨が降り続く雨季に入ります。これまで、雨の日には勉強ができるような建物ではなかったので、休校せざるを得なかったのですが、屋根の改修や壁を設置したことで、雨風を凌ぎ授業を行うことができるようになりました。学校に通う出来なかった近隣の子どもたちも受け入れ、80名の子どもたちが通う予定です。スームォン・ティン校長先生は「子どもたちが勉強をして良かったと思えるような学校にしたい。家族、村、国の宝となって欲しい。支援をして頂き心から感謝します」と話していました。

念願である「村」としての認可についても、申請作業に取り組み始めたそうです。

これまでは、時代に翻弄され続けてきましたが、新たな一歩を踏み出そうとしています。

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